人生を楽しく生きる為に実践してる僕なりの考え方

「毎日が退屈」「ワクワクする人生を送りたい」そう感じている人は考え方に原因があるのかもしれない。
僕自身も「お金があれば」「時間があれば」と思っていたけど、会社が長期休みになって、お金もにも困っていなかったのに自由を楽しむ事ができなかった。
でも本やYouTubeで色々な事を調べているうちに、「人生は自分の考え方次第」で幸せになれると気付いた。
しかも、考え方を変えるのは0円で出来て今この瞬間からできるこの世で最もコスパとタイパのいい行動だと個人的には思っている。
人生がつまらない、刺激がなくて退屈だと感じてる人の解決策やヒントになると思っているから、この記事を参考してもらって退屈な人生から脱却してもらいたい。
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不快からの解放が幸せ

嫌なことを避けていれば、自然と幸せになれると思っていた時期が僕にもあった。
でも、それなら逃げる事が得意な僕はとっくに幸せになってる。
たとえば、ランニングをして汗だくになった後に入るシャワーやお風呂は何となく入るお風呂とは比べものにならないほど気持ちいい。
あの気持ち良さは不快を経験したからこそ味わえる幸福。
同じ「お風呂」でも、そこに至るまでの手順が変われば感じる幸福の質もまるで変わる。
例えば僕は一時期、刺身とビールという大好物を毎日食べていた時期があった。
でも、それが当たり前になれば、ただの日常になってしまって特別でも幸せでもなくなった。
逆に、不快感をあえて経験したあとに得られる解放や回復には、一時的でも、強く実感できる「幸せ」がある。
もちろん、慢性的なストレスや不幸は避けるべきだけど、「幸福を感じる力」を取り戻したいなら、小さくて短い不快を自分に与えてみるのも有効だと思う。

疲れる手前の手前で休む

「疲れたら休もう」とよく言われるけれど、実際には人は疲れすぎると自分が疲れていることにすら気づけなくなる。
ブラック企業を辞めれない人は自分が異常な環境にいる事に気づけていない事と同じ。
大事なのは「疲れそうだな」と思う手前の手前で休むことだと思っている。
むしろ、「こんなに休んでて大丈夫?」くらいのペースでちょうどいい。
自分の体力を過信せず動けるけど、「あえて休む」という判断こそが持続力のカギになる。
「もっと頑張らなきゃ」と自分にプレッシャーをかけすぎると、知らない内に休憩を忘れ、やがて燃え尽きてしまう。
そして実は、少しやり残して休むくらいの「中途半端さ」が、やる気や集中力をキープするのにも役立つ。
自分の体力を、過去と比較しない
僕は以前、週6勤務で、月に45時間以上残業していたことがある。
その経験から「自分はこれくらい働ける」と、無意識のうちに体力や労働量を数値化してしまっていた。
その結果、明らかに疲れていても「まだいけるはず」と無理をして、回復に余計な時間がかかる…という悪循環にハマっていた。
でも冷静に考えれば、過去に働けた=今も働けるとは限らない。
- メンタルの状態
- 体調
- 仕事内容
- 人間関係
- 季節や気温
全てが複雑に絡んで条件が違えば、求められるエネルギーも変わる。
だから、過去の自分と今の自分を比べても意味はない。
今「疲れた」と感じたなら、それが何よりの休むサイン。

弱点は認めた方が楽になる

自分の弱さを認めるのは怖いし、今までの自分を否定するような気がしたり「他人にバレたら恥ずかしい」と思ってしまう。
でも実際のところ、他人は自分が思うほど、自分の弱点に興味なんて持っていない。
たとえば僕は、手が小さいのがコンプレックス。
でも周りの人にとっては、「そんなのどうでも良くね?」だと思う。
身長だって、よく男のステータスだと言われるけど、172cmの僕から見て170cm未満の人を見ても何とも思わない。
それでも、弱点を隠したくなるのはプライドのせいだ。
「自分は何でもできる」「完璧でいたい」と思って、自分を実力以上に見せようとしてしまうけど限界がある。
完璧を装って無理をし続ければ、いつか心が折れて再起不能になる。
強いフリは、いつか自分を壊すから無理に強がるよりも、自分の弱点を認めて等身大で生きるほうがはるかに楽だし、持続可能。

選ばなかった選択肢は輝いて見える

僕は結婚して子どもにも恵まれて世間的に見れば「幸せ」とされる人生を歩んでいるし、日々の暮らしにも満足している。
それでも、独身で自由に生きている人を見ると「自由でいいなあ」と羨ましく思う瞬間がある。
他にも高卒で今の会社に入ったけれど、「大学に行っていればどうなってたんだろう」と思うこともある。
人生において選ばなかった選択肢は何故か輝いて見える。
何故なら選ばなかった道は実際に体験していない分そこにある現実の面倒や苦しさが見えない。
だからこそ、「あっちの方が良かったかもしれない」と希望的に解釈してしまう。
もし今の自分に迷いや後悔があるなら、一度「選ばなかった道」にも粗や苦労があったはずだと想像してみてもいい。
アウトプット前提で生きる

今の時代、アニメ、映画、SNS、おもしろいコンテンツが溢れすぎていて、1つのことに集中するのがどんどん難しくなってきている。
アニメや映画のクオリティは昔より格段に上がっているのに、スマホ片手に「ながら見」してしまっている人は多い。
ちなみに僕の奥さんは「ながら見」をしてしまったばかりにシュタゲの面白さを理解出来ずに終わってしまった。
ながら見のせいで気がつけば「何も覚えていない」ということがよくある。
そうなると、せっかく時間を使って楽しんだはずのコンテンツも自分の中に何も残らず、ただの暇潰しどころか虚無で終わってしまう。
だからこそ大事なのが、アウトプット前提でコンテンツを見る事。
「あとで感想をSNSに書こう」とか、「誰かに話すネタにしよう」と思って見るだけで、自然と集中力が上がりインプット力も高まる。
僕自身も、動画やアニメ、本を楽しむときは「キャラクターの言動に何かヒントがないか」「この考え方って自分の生活に応用できないか」みたいに自分の糧になりそうな部分を探しながら見ている。
こうすると、作品に深く没入できるし、スマホの誘惑にも負けにくくなる。
“受け身”ではなく、“能動的に楽しむ”姿勢が、コンテンツの価値を何倍にもしてくれる。

何でもポジティブに捉える

「何でもポジティブに考えろ」と言われても、「そんなの無理だ」と思う人も多いかもしれない。
でも実際、世の中の多くの出来事は“良くも悪くも解釈次第だったりする。
たとえば車を買うときの「残クレ」
ネットでは「情弱向け」「金利が高い」「損する仕組み」と否定されがち。
でも見方を変えれば、「すぐに車を手に入れられる」「本来買えない車に乗れる」というメリットもある。
逆に、「読書は自己投資」「人生を変える」と持ち上げられることが多いけれど、内容が刺さらなければただの時間の無駄だし、そもそも成長しなくても生きていける。
何にでも良い面と悪い面があるからこそ、「どっちにでも解釈できるなら、ポジティブに捉えてみた方が得」だと思う。
物事の欠点ばかり探してネガティブに生きるのは簡単だけど、良い面に目を向ければ日々のストレスが減るし人生が明るくなる。

感情論で生きてみる

「感情に振り回されるなんて大人げない」「大人なら合理的に生きろ」「仕事に私情を挟むな」みたいな空気が世の中にはある。
でも、合理的であることが正しいというのも感情論の一つ。
「合理的な考え方こそ、かっこいい」「論理的な人間こそ、信頼できる」そう思うのも感情論だったりする。
もちろん、合理性が必要な場面はある。
でも、全てを合理的に処理しようとすると、じゃあなんで生きてるの?ってなる。
だから僕「興味のないことは合理的に処理して、楽しいことは非合理で全力で楽しむ」と決めている。
無駄に見えることも、感情で動いた方が楽しいならそれでいい。
人生は感情のある生き物が生きているんだから、感情で生きたっていい。
生き辛いのは賢い証拠

生き辛さは、考えすぎる賢さの裏返し
生き辛いと感じるのは、将来や過去、生きる意味などを深く考えてしまう「賢さ」のせい
僕が特別賢いとは言わないけれど、そうした「考えても仕方ないこと」をやめられないのは分かっているからこそ辛い。
一方で、同級生のSNSや会話を見ていると、「今日が楽しければそれでいい」という感覚で刹那的な快楽に身を任せて生きている人も多い。
生き辛さを感じる人は、現実世界での人間関係が薄くて「世の中なんてそんなもん」と割り切る力が弱い。
ネットの世界は、頭のいい人が賢い話をしていたり、見栄や嘘で飾られていたりして、現実とズレている。
そのギャップに振り回されてしまうと、余計に生きづらくなるから、少しネットからは離れて、現実の人間関係を重視してみれば良いと思う。
貧すれば鈍する、だから貧するな

「貧すれば鈍する」という言葉は真理だと思ってる。
人はお金に困ると、思考力が鈍って冷静な判断ができなくなる。
たとえば、手元にお金がないときほど、「これで人生を変えられるかもしれない」と、ギャンブルや怪しい投資に手を出してしまう。
普段なら絶対に選ばないような道を、今の苦しさを抜け出すためだけに選んでしまう。
これは、その人がバカだからじゃなくて、お金の余裕がないという状況がバカな判断をしてしまう。
だから「貧しさ」に陥らないことが、冷静な判断力の土台になる。
節約や我慢も大事だけど、根本的には「稼ぐ力」「備える力」「余裕を作る力」を持っていないと、まともに考えることすらできなくなってしまうのが現実。
「お金がすべてじゃない」と言う人もいるけれど、お金がないと全てが歪んで見えてしまうのが人間だと思う。


殻を破ってみる

「これはやっちゃいけない」「こうするべきだ」みたいに固定観念や常識に縛られて、自分で自分を窮屈にしている事って多い。
僕は入社して最初の頃は、職場では常に背筋を伸ばして、ちゃんとしてなきゃと気を張っていた。
でもある日、仕事中に屈伸や伸びをしてみたら、誰にも何も言われないし、評価が下がることもなかったし、「あれ?意外と大丈夫じゃん」と拍子抜けした。
それから、思いつきで弾丸旅行に出かけたり、「これが自分だ」と思い込んでいたスタイルを少しずつ壊してみた。
すると、世の中は自分が思っているより他人に興味無いし、案外テキトーだなと思った。
自分で勝手に作っていた殻がいかに小さかったかに気づけた。
